2015/09/29
幼いころに、お母さんが幸せそうではないと感じた子どもは、お母さんのことを幸せにしたいと思います。誰かがお母さんを傷つけていると思ったら、お母さんを守ろうと考えます。お母さんが悲しんでいたら、喜ばせようとします。お母さんが不機嫌だったら、笑わせようとします。お母さんが自分のことを見てくれていないと感じたら、振り向いてもらおうとしたり、認めてもらおうとします。お母さんに嫌われないように、いい子でいようとします。お母さんが機嫌よくしているかどうか、顔色を見ます。ただお母さんに笑顔でいてほしいから、子どもはけなげにいろんな行動をします。
この思いが、頭にプログラムとして定着します。お母さんに認めてもらうために、お母さんを笑顔にするために、お母さんを守るために、お母さんを喜ばせるために、お母さんに嫌われないために、「~するべき」「~してはいけない」「~をがんばる」「いい子でいる」「空気を読む(顔色をみる)」というプログラムをつくります。このプログラムは無意識に繰り返されるうちに、「お母さんのために」という部分が抜け落ちても、起動し続けてしまいます。
みんなに認められないといけない。
みんなに嫌われてはいけない。
みんなを喜ばせないといけない。
空気を読まないといけない。
ちゃんとしないといけない。
真面目にしないといけない。
いい人でないといけない。
それらのことを頑張らないといけない。
このプログラムは世間の常識と一致していることが多いので、そうすることが正しいことだと「頭」は判断します。そうしないことなどありえないとまで思います。しかしそれに心が伴っていないと、苦しさを感じます。その時、心は「本当はしたくない」「本当は別のことがしたい」と感じているのです。
この思いが、頭にプログラムとして定着します。お母さんに認めてもらうために、お母さんを笑顔にするために、お母さんを守るために、お母さんを喜ばせるために、お母さんに嫌われないために、「~するべき」「~してはいけない」「~をがんばる」「いい子でいる」「空気を読む(顔色をみる)」というプログラムをつくります。このプログラムは無意識に繰り返されるうちに、「お母さんのために」という部分が抜け落ちても、起動し続けてしまいます。
みんなに認められないといけない。
みんなに嫌われてはいけない。
みんなを喜ばせないといけない。
空気を読まないといけない。
ちゃんとしないといけない。
真面目にしないといけない。
いい人でないといけない。
それらのことを頑張らないといけない。
このプログラムは世間の常識と一致していることが多いので、そうすることが正しいことだと「頭」は判断します。そうしないことなどありえないとまで思います。しかしそれに心が伴っていないと、苦しさを感じます。その時、心は「本当はしたくない」「本当は別のことがしたい」と感じているのです。