2014/03/17
信じるものは救われることを書きましたが、「信じるって何か怖い感じがする」「神様を信じるって胡散臭い」「何をどう信じればいいの?」と思われる方も多いと思います。日本人は西洋的な信仰を持っていない人が多いので、自分が無宗教だと思っている方も多いようです。初詣やお墓参りをしたり、お葬式でお数珠を手にしていたりする人は多いので、厳密にいうと、日本人は神道や仏教を緩やかに受け入れている、という表現になるのかなぁと思います。ただ、自分自身が「神(サムシンググレート)を信じるか?」と言われると、なんとなく信じたいような、信じていないような……と感じているのではないでしょうか?
今回「信じる」ことを説明していますが、何のために「信じる」ことが必要なのか? それは「あきらめ、明け渡す」ためです。あきらめ、明け渡すための最後の一歩に「信じる」が必要なのです。 では一体何をあきらめ、明け渡すのか?結論から言うと「自我」=「自分なりの考え方」をあきらめ、明け渡すのです。
「自分なりの考え」で問題になるのは、~してはいけない、~するべき、~しないといけない、などの考え方です。例えば、幼い頃お利口にしていないと、親に強く叱られた、という経験をしていた場合。その経験によって、強く心を傷つけられたと感じた子どもは、もう心を傷つけられたくない、と思います。その結果、心を傷つけられないために、きちんとしておかないと「いけない」という思い込みを持ってしまいます。そしてきちんとしていない人を見るとなぜかイライラし、怒りの感情が出たりします。他にも、お兄ちゃんだから~してはいけない、とか女の子なんだから~しなさい、また、皆と一緒でないといけない、など思い込みを持つ元になる経験を無数に重ねています。このような形で、様々な思い込みや考え方の癖をたくさん抱えていることが、幸せから遠ざかってしまう理由なのです。
なんとか、この思い込みや自分なりの考えを消してしまいたいのです。でもこの思い込みは、自分の心を守るために必要があって持ち続けた考えなので、手放すのはとても怖いと感じます。その観念を手放したら、どうやって生きていっていいのかわからない、とさえ思ってしまいます。自分が自分ではなくなってしまうような恐怖感を感じる場合もあります。
『 がんばって守ってきた「自分なりの考え方」のお陰で、なんとか今までやってこれた』という思いは誰にでもあるものです。いきなりそういう思いを手放すのは、とても難しいことです。
最初は手放せなくても良いです。それで普通なのですから。まずは、「頑張っている自分」がいることを認めてあげてください。心のなかで、子ども時代の自分がなんとか傷つかないよう頑張ってくれている、とイメージしてください。そしてその子に、「頑張ってくれてありがとう、もう大丈夫だよ」「頑張らなくてもいいんだよ、楽しく遊ぼう」と声を掛けてあげましょう。(つづく)
今回「信じる」ことを説明していますが、何のために「信じる」ことが必要なのか? それは「あきらめ、明け渡す」ためです。あきらめ、明け渡すための最後の一歩に「信じる」が必要なのです。 では一体何をあきらめ、明け渡すのか?結論から言うと「自我」=「自分なりの考え方」をあきらめ、明け渡すのです。
「自分なりの考え」で問題になるのは、~してはいけない、~するべき、~しないといけない、などの考え方です。例えば、幼い頃お利口にしていないと、親に強く叱られた、という経験をしていた場合。その経験によって、強く心を傷つけられたと感じた子どもは、もう心を傷つけられたくない、と思います。その結果、心を傷つけられないために、きちんとしておかないと「いけない」という思い込みを持ってしまいます。そしてきちんとしていない人を見るとなぜかイライラし、怒りの感情が出たりします。他にも、お兄ちゃんだから~してはいけない、とか女の子なんだから~しなさい、また、皆と一緒でないといけない、など思い込みを持つ元になる経験を無数に重ねています。このような形で、様々な思い込みや考え方の癖をたくさん抱えていることが、幸せから遠ざかってしまう理由なのです。
なんとか、この思い込みや自分なりの考えを消してしまいたいのです。でもこの思い込みは、自分の心を守るために必要があって持ち続けた考えなので、手放すのはとても怖いと感じます。その観念を手放したら、どうやって生きていっていいのかわからない、とさえ思ってしまいます。自分が自分ではなくなってしまうような恐怖感を感じる場合もあります。
『 がんばって守ってきた「自分なりの考え方」のお陰で、なんとか今までやってこれた』という思いは誰にでもあるものです。いきなりそういう思いを手放すのは、とても難しいことです。
最初は手放せなくても良いです。それで普通なのですから。まずは、「頑張っている自分」がいることを認めてあげてください。心のなかで、子ども時代の自分がなんとか傷つかないよう頑張ってくれている、とイメージしてください。そしてその子に、「頑張ってくれてありがとう、もう大丈夫だよ」「頑張らなくてもいいんだよ、楽しく遊ぼう」と声を掛けてあげましょう。(つづく)