2016/10/17
湖の水面がピターッと鏡のように静まっている……そんな心の状態になった事があります。
高校生の時、勉強がいやで、何とかして楽に、
効率よく勉強する方法はないかと色んな本を読んでいて
(そんな暇があれば単語の一つでも覚えろよっ! というツッコミはなしで)、
その時「自律訓練法」というものが存在することを知りました。
早速、実践してみたのですが、最初はなかなか集中できません。
雑念が多すぎてうまくリラックスができないのです。
ベッドに横になって、手だけリラックスする練習、足だけリラックスする練習、
と少しずつ練習を重ねました。
そして何度か繰り返しているうちに、冒頭のように心がシーンと静まる体験をしたのです。
雑念がなく、ただリラックスしている状態でした。
しばらくその状態を楽しんでいましたが、ふとこのまま戻らないかも?と思ったら、
その状態から抜けてしまいました。
その爽快感と好奇心で、しばらく自律訓練法を繰り返しましたが、
心がシーンと静まる感覚はなかなか再現できませんでした。
今思えば、その状態になりたいという欲が強すぎて、ダメだったのだろうと思います。
瞑想すればそうなれるかも? と思い、瞑想についての本を読んで実践したり、
リラックスする音楽を聴きながら、気持ち良い自然の中にいるイメージをしてみたり、
試行錯誤していました。
瞑想もイメージングも、それぞれにある程度リラックスはできるのですが、
あの時のようにはできませんでした。
その後、何年も経ってから、想念観察という瞑想法を知りました。
想念観察を断続的に実践していたある時、深い瞑想状態になり、光のイメージを見ました。
おそらく魂の光をイメージとして見たのですが、すべての魂は大海でつながっていて、
ひとりひとりの人間は大海の上の波のようなものだと感じました。
大海は全てを肯定し、全てを受け入れる、愛そのもの。
ひとはみな、その愛そのものであるのに、波の形や大きさや色を気にして比較し、
ないものを探して欲しがったり、批判したりする存在だと気づきました。